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 葛木宗一郎はごく普通の高校教師である。
 担当は倫理と現代社会。誤字ひとつ許さない異様な堅物として校内で知らない者はいない。
 英語教師の藤村大河が人の皮を被った野生の獣(と言うか虎)であることを疑う者がいないように、葛木の皮を剥けば中から出てくるの はロボットであるというのが私立穂群原学園の定説だった。
 教師のモラル低下を嘆いた文部科学省に教師のモデルとなるべく作られたとか、未来の日本から教育界を再生するために送られてきたと か。
 とにかく怒らない、笑わない、感情というものをどこかに置き去りにしているかのような素振りから、そんな噂がまことしやかに囁かれ ている。
 そんな葛木だからこそ、
「藤村先生、少々よろしでしょうか」
「あ、葛木先生。どうしました?」
「結婚を考えているのですが、藤村先生の御祖父様を紹介していただけませんか?」
 そんな会話を教員室で聞いた後藤くんのショックと言ったら、そりゃあなかった。



葛木先生の放課後 〜結婚するって本当ですか?〜




 放課後。三年A組のドアがけたたましい音をたてて開かれた。
「た、大変でござるよ皆の衆ーーーーっ!!」
 A組どころか、周辺教室にすら響き渡る大声をあげながら教室に飛び込んできたのは、後藤くん。前日に見たドラマに影響されて毎日の ように口調が変化する学校きっての面白生徒だ。今日は火曜日、時代劇口調なのは水戸黄門のせいらしい。
「ご、ご隠居! 一大事でござる!」
 などと後藤くんが口走りながら目指すのは静かに文庫本に目を通す女生徒の机。ご隠居と呼ばれた少女は、ついと文庫本から顔を上げ、
「どうしたハチ、そんなに慌てて」
 余裕たっぷりに、後藤くんの言動に合わせて彼の慌てっぷりを問いただした。眼鏡の奥の大きな瞳は、わずかに好奇心を湛えている。
 少女の名は氷室鐘。蒔寺楓や後藤くん、休み明けから唐突にあくまのようになった遠坂凛などが在籍する面白クラスで数少ないツッコミ 役だった。
「それがもう一大事でござるよ! 某も思わず自分の耳を疑ったでござる!」
「ごとー、いいから何がどう一大事なのかさっさと言えよー」
 息を切らせながら捲くし立てる後藤くんに、鐘の隣に座っていた楓がつっこむ。
「うむ蒔寺殿、これを聞けばおぬしも衝撃を受けずにはいられぬぞ」
 皆も聞けーと教室をぐるりと見渡して、言う。ホームルーム前の空いた時間を各々好きに過ごしていた生徒達は、その一言で後藤くんに 注目した。
「よく聞け皆の衆」
 すーっと大きく息を吸い込んで、
「我らが担任教師、葛木宗一郎殿が結婚するでござるよーーーーっ!!」
 叫んだ。
 一瞬静まる教室。
 そして、
「「「「「「「「「「「「「「「な、なにーーーーーーーーっ!!!!」」」」」」」」」」」」」」」
 仰天の声が、冗談抜きで校舎を揺るがした。
 びりびりと窓ガラスが揺れる中、後藤くんは前にも増して大声で、
「しかも相手はあのタイガーのようでござるーーーーっ!!」
「「「「「「「「「「「「「「「うそだーーーーーーーーーっ!!!!」」」」」」」」」」」」」」」
「葛木が結婚ーっ!? しかもタイガーと!?」
「ありえねぇー!!」
「おいおい、葛木って文部省から派遣されたロボットじゃなかったのかよ!」
「えー? あたし未来から来た教師型ロボットって聞いたよー?」
 蜂の巣を叩いたような騒ぎになっている教室で、一人冷静な鐘はまだ手にしていた文庫本をぱたりと閉じると、
「して後藤、情報源は何処だ」
「う、うむ。教員室で葛木がタイガーに言っていたのでござるよ、『今度結婚するのでお祖父さまにご挨拶させてください』と」 
「……ふむ」
 繊手を顎にかけ、しばし黙考。
 その間も騒ぎを聞きつけた周囲のクラスから斥候が来ては、若干誇張された情報を持ち帰っている。ホームルームが始まるまでには学校 中に知れ渡りそうな勢いだった。
「皆、少々落ち着け」
 くるりと教室を見渡し言うが、静かな鐘の声では喧騒に打ち消されてしまうだけだった。
「……蒔の字、注目を集めてくれたまえ」
 小さく嘆息してから、傍らでぎゃいぎゃい騒いでいる楓を引っ張る。
「あいよ……おーい! 鐘っちから話があるってよーーーーっ!!」
 鍛えた肺活量は伊達ではない。教室を震わす大声で叫ばれてはクラスメイトたちも注目せざるをえない。
 もっとも、斥候からの報告が伝わったのか周囲のクラスから響く驚きの叫びで教室は揺れっぱなしだったが。
 教室中の注目が集まるのを確認すると、鐘は咳払いをひとつしてから、
「まず、藤村教諭が結婚相手というのはおそらく後藤の勘違いだ、落ち着け」
「なんでー?」というクラスメイトの問いが飛び交う。
「そうそう、なんで勘違いだって断定できるのよ。藤村先生だからって回答はなしね、なんとなく納得できるけど」
 美綴綾子が挙手しながら問うと、
「結婚相手にわざわざ『今度結婚するので祖父に挨拶させてくれ』と言うと思うか? 皆も知っての通り藤村教諭の祖父は深山町の顔役で あるからな。形式にうるさい葛木教諭が挨拶しに行こうと考えるのも道理だろう」
「「「「「「「「「「「「「「「…………」」」」」」」」」」」」」」」
 確かに、道理である。
「故に情報の後半部分は確実に誤報だと思う。前半部分は……半々と言ったところか。例えば親類が結婚するのに、同じ職場に居る葛木教 諭が藤村教諭に仲介を頼んだ……ということも考えられるのではないか?」
「……鐘っち、あんた冷静だねー」
「なに、葛木教諭も人の子だ。結婚しておかしいということはあるまい」
「いやまあ、そーだけどよー。あの葛木よ? ロボよ?」
「ふむ」
 教師と一生徒という関係以上のものではないが、あまり感情を露にしないという一点において鐘は葛木に小さな親近感を抱いていた。自 分が恋に落ちるということが――正直想像し難くはあるが――想定できる以上、葛木が結婚すると言われても多少の驚き以上のものは感じ ない。
「そうだな。蒔の字、私が恋に落ちたと言ったらどう思う?」
「驚く。ってか、信じらんね」
「蒔ちゃん! 失礼だよ!」
 もう一人の親友、三枝由紀香がフォローしてくれるが、
「いや、蒔の字の言うことももっともだ。まあ蒔の字がそう思ったように、私と葛木教諭は似ているところがあると思う。恋愛について淡 白な部分などな。ただ私は自分が恋愛することが信じられる。だから葛木教諭が結婚すると聞いても、ああそんなこともあるだろうなと考 えられる、それだけのことだ」
 くるりと注目するクラスメイトたちを見渡して、
「だからまあ、真偽のほどは葛木教諭に直接聞けばいいだろう。もう間も無く……」
「なんの騒ぎだ」
 鐘の言葉をさえぎるようにして、話題の渦中にある葛木宗一郎その人が教室に姿をあらわした。
「ホームルームの時間だ。各自席に戻るように」
 言いながら、教卓へと向かう。その口調はけして威圧的ではないのに、逆らいがたいなにかがある。しかし、
「先生、結婚するって本当ですかー?」
 なんて聞く勇者が一人。蒔寺楓である。クラスのほぼ全員が固唾を飲んで見守る中、葛木は何の躊躇いもなく、
「本当だ」
 当たり前のことを答えるように、頷いた。
 本人が目の前にいるのにもかかわらず、
「うわ、おいマジだってよ!?」
「えー、葛木先生結婚しちゃうんですかー?」
「おめでとうございますー!」
「やはり拙者の耳に間違いはなかったでござるよー!」
 沸く教室。
「先生ー、相手はどんな人ですかー? 美人?」
「悪いが、例えることは出来ない。世間一般の基準から言えば美しい女性だと思う」
 結婚相手を美人かと聞かれ、きっぱりと「美しい女性だ」と答えた葛木に、「おおー」と驚愕のざわめきが広がる。
「おいおいマジかよ……葛木が惚気たぜ……」
「中身別人なんじゃないか……?」
「いや、あれだろ、宇宙人にさらわれたとか」
 そんなひどく失礼な囁きが交わされる中、
「ホームルームをはじめる。日直、礼を」
 葛木はまったくいつも通りに日直に礼を命じた。
 興味津々でも、流石に命じられては質問もしづらい。渋々日直だった埼玉は、起立の礼をかけた。
 淡々と伝達事項を終わらせ、終了の礼までいつも通り滞りなく進む。
 去り際に、
「メディアに会いたいのであれば、柳洞寺に来なさい。別に隠しているわけではない」
 そう言って、葛木は教室を出て行った。
 その言葉が、
「め、メディア!?」
「が、外人!? 国際結婚なの!?」
「ってか柳洞寺? なんで柳洞寺!?」
「寺の息子いたろ、アイツ引っ張ってこい!」
「も、もうわけわかんねーっ!!」
 さらに大混乱を招いてたりする。
 半年後、葛木をモデルにした諜報員が某国に赴き、その国の王女と結ばれる話を書いた文芸部員がプロデビューしちゃったりするのは、 もう別次元のお話。

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