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 見えない糸が身体を通り過ぎていく。その感触に女は笑い、男は眉を顰めた。
「悪趣味だな、アンタ」
「ふふ、そう言うな。可愛いものじゃない、あの子」
 妖しく微笑む女の視線の先に立つのは一人の少女。真紅のコートを身に纏い、真っ直ぐな視線を公園の中心の方へと向けている。
「若いな。自分が何でも出来ると思っている面構えだよ、あれは」
「へ。ババアみたいな言い方だな」
「……昨夜あれほど私の身体を貪っておきながら、よくそんなことが言えるね、キミは。老婆相手にあれほど盛ったのであれば、餓えた野 犬にも劣るよ?」
「……口の減らねえ女」
「誉め言葉と受け取っておこう」
 半眼になって女を見遣る男に、女は優雅に微笑んでみせた。男は悔しげに舌打ちをすると、乱暴に女を抱き寄せてその唇を奪う。
 技巧もなにもない、だが激しい情熱を確かに秘めた口付けを受けながら、女はそっと男の耳朶をくすぐった。
「本当に……キミは餓えた獣のようだ。こんなところで私を求めるつもりか?」
 ちろりと唇を舐める舌が艶かしい。いっそこの場で押し倒してやろうかと思わないでもないが、
「言ってろ……ほれ、あそこのお嬢ちゃんが動くみたいだぜ」
「そう。それじゃあ残念だけど、後を追うとしようか」
 女は小さく笑うと、
「行くよ、ランサー」
 男だけに聞こえるように、呟いて立ち上がった。



黄昏の槍兵 〜不逢良縁〜




 冬木きっての高級ホテル。その一室のダブルベッドの上で一組の男女が生まれたままの姿で横たわっている。
 焔のように火照った肌、二人の身体を濡らす汗と、それ以外の体液が、情事を終えたあとであることをしめしていた。
「にしても……」
 男が呆れたように呟く。伸ばしているわけでもない、中途半端に長い髪が肩にかかるのを鬱陶しげに払いながら、
「呼ばれた途端、自分を抱けなんて言ったヤツははじめて見たぜ」
 言って、胸の中におさまった女の顔を見つめる。
 二十歳頃だろうか、若い女だった。絶対に泣かなそうなのに、涙を堪えているような、そんな矛盾した瞳に、泣きぼくろが似合う女。
「ふふ……だって勿体無いだろう? こっちは大召喚の後で魔力が空っぽなんだ。そんな時これだけ濃密な魔力を持った奴が目の前にいる んだから、少しくらい分けてもらおうという気になるのが自然じゃないか?」
 男の厚い胸板に手をかけて、起き上がる。
「シャワーを浴びてくる……一緒に浴びようか?」
「遠慮しとく。あんまりやり過ぎて立てなくなりました、なんて言われても困るからな」
 男は寝転がったままひらひらと手を振り、その手をとすんと自分の瞳の上に落として目の前の光景を隠した。
 我を忘れて女を求めるほど若くも、餓えてもいないが、やはり形の良い乳房だの尻だのを隠しもしないで微笑む女を見ているのは、目の 毒だ。しかもその抱き心地といったら男のためにあつらえたようなのだから、あまり見ていてはその手を引いて褥に組み伏したくなる。
「そんな心配されるほど、柔な鍛え方はしてないよ」
 自信たっぷりに言う顔に浮かぶのは、微笑だろう。
 空いた手を犬でも追い払うように振ると、女は笑いの空気だけ残して浴室へと消えていった。
「……バゼット、とか言ったな」
 手で目元を覆ったままの、男の唇が満足げに歪む。
「いい女じゃねぇか」
 人のカタチをしているが、真実男は人間ではない。
 聖杯戦争と言う魔術師同士の戦い、その戦を勝ち抜くため魔術師によって使役される使い魔――冬木の聖杯戦争においてのみ可能とされ る英霊の召喚システムによって現界し、『槍兵』のクラスを割り振られたアイルランドの大英雄。
 クー・フーリンが、彼の真の名である。
 そして女はバゼット・フラガ・マクレミッツ。英雄クー・フーリンをランサーとして使役する、若輩ながら一流の魔術師であった。
 とは言え、こうして床を共にすれば英雄も魔術師もない、互いを求め合うだけの男と女だ。
 まだ掌に残る主の柔らかな素肌に、ランサーは顔がにやけるのを止められない。
 生前も、死した後もいい女とは縁がなかっただけに、此度のマスターは信じられないほど心地よかった。勿論身体だけではなく、捻くれ ていながら真っ直ぐという心の在り方も、ランサーにとってはひどく好ましい。
 英霊となり、輪廻の輪から外れたのは心昂ぶる戦いを求め続けたが為であるが、
「こりゃ、受肉を真剣に考えてもいいかもしれねぇな……」
 聖杯を得れば、二度目の生を謳歌できるという。傍らにいるのがバゼットならば、悪くない。
 ランサーがそんなことを考えていると、
「なにをにやけているんだい? 気持ち悪いからやめてくれると助かる」
 可愛い声が可愛げのない口調で、上から降ってきた。
 手をどけると、
「ほら、キミもシャワーを浴びてこい。そんなベタベタの身体では一緒に眠れないよ」
 バスローブを纏ったマスターの姿。
「あいよ」
 バスローブ姿のバゼットは、濡れた髪もあいまってそれなりに扇情的ではあったが、ただそれだけで襲うほど彼女にイカレてはいない。 軽く首肯し、バスルームへと向かう。
 ランサーが生きていたのは遥か古代でシャワーなどなかったが、都合のいいことに聖杯が召喚される時代の知識は適当につけてくれてい るようだ。迷うことなくコックを捻り、鍛えあげられた筋肉の上に人工の雨を降り注がせる。
 そうしてベッドルームに戻ってみれば、
「……すー」
「寝てるぜ、おい」
 バゼットは、すっかり熟睡していた。
「ま、別にいいんだけどよ」
 ふかふかのベッドに腰をおろし、あどけない幼児のような顔で眠る己がマスターの髪を優しく梳く。
「……ん」
 ころんと寝返りをうった拍子に、バスローブがはだけ、白い胸元が露になった。そこには先程ランサーがつけた華が、紅く咲いている。
「……ほんとに、いい女だぜアンタ」
 胸元の花弁にそっと口付けて、ランサーもごろりとベッドに横になった。ゆっくり眠るなんて行為とは長らく無縁だった身だ。久しぶり に眠りという娯楽を満喫することにしよう。
 そう、ランサーが思った途端、
「……とみね」
 バゼットの小さな唇から漏れる、言葉。
「…………」
 むかっとした。
 なんだかよくわからないけど、むかっとした。
 よく聞こえなかったが、今の言葉は人の名前、しかも男の名前のような気がする。
「……おい、バゼット」
 肩に手を置いてがくがく揺さぶる。しばらくむずがるようにしていたバゼットだが、薄く目を開き己がサーヴァントの姿を認めると、
「……なんだいランサー……? 疲れてるんだから……寝かせて……」
 まだ半分以上眠ったまま呟いた。
 そんなバゼットに構わず、ランサーは彼女の唇に己のそれを押しつける。たっぷりと味わってから解放すると、なんだかひどく不機嫌そ うな目で睨まれた。
「……ランサー、なんのつもりだい?」
「いやなに、魔術の基本は等価交換ってのを忘れててな」
 本当の理由などおくびも出さずにニヤリと笑い、
「アンタは魔力が得られてご満足だろうが、生憎とオレは全然満足してねーんだ」
「……明日また、ってわけには……いかないんだろうね」
「いかないね。疲れ果てて何にも考えられなくなるくらいまで寝かせるわけにはいかねぇ」
 そうすれば、寝言に男の名を呟くこともあるまい。
「やれやれ……まあ、私も嫌いじゃないけれど」
 相手がキミのような男なら、ましてね。
 バゼットは言って、ランサーの口付けに応えた。


〜 〜 〜 〜 〜


「なあバゼット」
 長い髪を襟足のところで纏める、鈍い光を放つ髪留めを片手でいじりながら、ランサーは傍らのマスターに視線を向ける。
「……なんだい?」
 それなりに人出のある街中なので、一応の用心で真名はおろかクラス名でも呼ばないと言っていたとおり、バゼットは最低限の疑問の言 葉で応じた。
「コレ、外しちゃまずいよな」
「キミが自力で抑えられるなら、好きにすればいいよ」
 ランサーが触れている、彼の長い髪を纏めているのは装備者の魔力を極めて巧妙に隠す魔力殺しである。朝出かける際に、ランサーが今 着ているごく普通の服と一緒にバゼットが渡したものだ。
「私としては、外して欲しくないけど」
「なんでだよ」
 問われ、バゼットはショーウインドウに向けていた視線をランサーの方に移し、
「似合っているからね、キミに」
 邪気なく笑った。
「……女物が似合ってるとか言われてもなぁ。もーちょいマシなのはなかったのかよ。大体オレの髪が短かったらどうするつもりだったん だ?」
「そうだね。紐でもかけて首に下げさせたかな」
 何気ないバゼットの言葉に、ランサーはむっと顔をゆがめ、
「ちょっと待てコラ。んじゃなにか? コレ別に髪につけてる必要ないのかよ」
「ああ。身に着けてさえいれば問題ないよ。落とさない自信があればポケットに入れても構わない」
「……先に言えよ」
「でも」
 外そうと髪留めに伸ばしたランサーの手を柔らかく押さえる。
「言っただろう? 似合っているって。私の隣を歩いているんだから、少しくらい我が侭聞いてくれてもいいんじゃないかい?」
「…………」
 ランサーの鍛え上げられた腕に触れる細い指先は、すでに押さえる意思をなくし、ただ触れているだけだった。
 が、
「……ま、目立つもんじゃねえしな」
 あっさりとそう言うと、腕をおろしてしまった。
「ありがと。素直なキミも好きだよ」
 おろされた腕をバゼットが抱き寄せる。引き締まった腕は彼自身の強さを象徴しているようで、勝ち残るのはけして容易いことではない はずの聖杯戦争だが、絶対に自分たちは勝ち残れると感じさせてくれた。
「にしても、あの嬢ちゃんもよく動くな」
 視線の先は公園にも居た少女だ、二つに分けた艶やかな黒髪を靡かせながらあちらこちらの店を覗きつつ新都を歩いている。二人はその 後方を、少女を見失わない程度に離れた距離を保っていた。
「下見ってところだろうね。見るべきところをあの子が通ってくれるから、手間が省けてありがたいよ」
 ランサーの腕を抱きながら楽しげに語るバゼット。日本人場慣れした風貌がやや人目を引くものの、誰が彼女たちを魔術師とその下僕だ などと思うだろう。
「相棒は誰だと思う?」
「さてね、キミとしては他の二人だとありがたいんだろう?」
 剣、槍、弓、これらを得物とするセイバー、ランサー、アーチャーの三騎士は比較的安定した強さを誇っている。心奮える戦いを望んで 英霊となったランサーであるから、なにをおいてもセイバーとアーチャーとは戦っておきたい。
「まあな。こそこそ企んだり、隠れたりするようなヤロウは願い下げだ」
「ふふ、頼もしいね」
 言って微笑む彼女は、己がサーヴァントの最強を疑っていない。
 既に四回行われたこの冬木の聖杯戦争。最強のサーヴァントはセイバーであるという。逃れられぬ自滅の道を歩むとは言え、バーサーカ ーのクラスで呼ばれれば如何なる英霊でも最強と呼ばれることに異は唱えられない。
 それでも、彼女、バゼット=フラガ=マクレミッツの喚んだランサーは最強である。
 何故ならば、彼女には己こそ此度の聖杯戦争における最強の魔術師であるという自負がある。最強のマスターである己が呼び出すサーヴ ァントが、最強でない道理は無い。
 だから、ランサーこそ最強。
 そうして、少女をつけまわすこと数時間。二人は少女が入ったレストランに何食わぬ顔で入っていった。
「しっかし、あの嬢ちゃんと将来つき合うことになる男には同情するね。よくもまあ、あんだけフラフラ歩けるもんだな」
 席に着くなり小声で、ランサーがぼやく。
「下調べが入念なのはいいことだよ。相手にとって不足は無さそうだ」
 二人分のワインを注文しながら、バゼットは笑顔で答えた。そのバゼットの笑みにランサーも笑顔――バゼットのそれが邪気の無い子供 のような笑いであるのに対して、獲物を前にした肉食獣のような、といった形容が似合うものではあったが――で、
「……ああ、まったくだ」
 頷き、グラスの水を一気に飲み干した。
「それよりもバゼット……」
 まだ出揃っていないようだが、これからどうするつもりだ。
 そう問おうとしたランサーの言葉は、警戒に鳴り響いたメロディーに遮られた。音の出元は彼の正面、優雅に座るバゼットのスーツの内 ポケット。
「すまない、ちょっと待ってくれ……Hello? ……! どうしたんだ、まさかお前から連絡してくるなんて」
 バゼットの声が、少し大きくなる。電話に応答する彼女の声に敵意は含まれていない。そこにあるのは疑いと驚きと……わずかな、喜び 。
「……そうか。わかった、お前が言うならよほどの事態なんだろう。私の家はわかるな? ……ああ、構わない」
 では一時間後にと言って、バゼットは携帯の通話を切る。ランサーに視線を向け、
「すまない。旧知の人物から連絡が入った」
 財布から札を数枚取り出してランサーに渡す。
「食事は好きに済ませてくれ。彼に会って来る」
 彼。つまり、これから会う相手は男。
 そのことに少しむっとするが、それ以上に、
「無用心じゃねえか? 別にオレがついていっても……」
「心配性だな、キミは。安心しなさい、彼は監督役で、敵じゃない」
 少女は離れた場所にいるが、用心の為ランサーの耳元まで口を近づけて言う。
「彼とは少しばかり因縁があってね。出来ることなら一対一で会いたいんだ」
「……わーったよ」
 令呪を使われたわけではないから、逆らおうとすれば勿論逆らえるが、そこまで言われて逆らうのもみっともない。万が一の場合は令呪 を使って呼べば、空間跳躍すら可能なのだから、手遅れになるなどということもないだろう。
「ありがと」
 言って、ランサーの頬に小さな唇をよせる。
「先にホテルに戻ってて……眠るんじゃ、ないよ」
 小さく手を振りながら出口に向かうバゼットを、ランサーは不機嫌そうに見送った。
 数時間後、ランサーは己の運命、縁の薄さを眼前に突きつけられることとなる。

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