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 武家屋敷を思わせる、大きな和風の家。
 その縁側で少女が一人横たわっている。十代の半ばくらいだろうか、黒と黄の横縞――はっきり言ってしまえば虎縞――のシャツに膝丈 の深い緑色のスカートを纏った、可愛らしい娘だった。静かに寝息をたてる目を閉じた顔は、女性と言うよりは少女、むしろ子供である。
 だいぶ涼しくなってきた秋風が少女のふわふわとした髪を揺らす。肩を越えるくらいまで伸びた髪は、風に踊って少女の首筋やら顔やら をくすぐった。
「うに……」
 むずがって転がる少女。
 その姿を、
「……はは」
 廊下を曲がってちょうど目撃した家の主は小さな笑いを漏らした。
 年の頃は二十の終わりか、三十路の頭。一言で言うなら、野暮ったい男だった。ぼさぼさの髪、触ると痛そうな無精髭、着崩したのか着 崩れたのか、だらっとした藍色の浴衣が似合っている。
 家の主は、名を衛宮切嗣という。数年前にふらりと冬木の町を訪れ、今住んでいる屋敷を即金で買い取って以来一人息子と住んでいた。
 ご近所の評判は非常にあやふやなもので、
『いい人だけど胡散臭い』
 要約するとこうなる。
 確かに切嗣は定職についている様子は無く、普段は縁側でのんびりと煙草を吸いながら趣味の落語を聞いている。そうかと思えば馬鹿で かいトランクを抱えてふらりと出かけて、何日も帰ってこないことも間々あった。
 はっきり言って不審人物としか言い様がない。
 それでも前記のような評判を得ているのだから、切嗣の人柄のよさがうかがえると言うものだろう。
「よいしょっと」
 年齢に似合わない、しかし印象には似合ったつぶやきをもらしながら、切嗣は少女のほっそりとした肢体に、手にしていた毛布をかぶせ た。
「うー……」
 毛布から離れた切嗣の手を、少女がつかむ。
「大河ちゃん……?」
 起こしてしまったか。切嗣がそう思い、少女――大河の顔をのぞこうとするが、ふわふわとした髪に邪魔される。
 ならば、と。掴まれたのとは逆の腕を伸ばす。節くれ立った指が、こわれものでも扱うように大河の髪を梳いて、十以上も年下の少女の 顔があらわになった。
 ……うん、可愛い。事実を追認して切嗣は柔らかな笑みを浮かべる。
 ヤクザの一人娘にして剣道の有段者。竹刀に妙なモノをつけるこだわりさえなければ、全国だって夢ではないと言われるほどの剣腕の持 ち主である。通り名は"冬木の虎"。
 これだけ聞いたら普通は筋骨隆々の女武者か、一昔前のドラマに出てきそうな目つきの悪い女番長のような姿が頭に浮かぶが、大河はそ のどちらともほど遠い容姿の持ち主だ。
 その白いほっぺたは色といい形といい――陳腐な形容だが、使い古された言葉は正しい印象を即座に伝達する――つきたての餅のようで 鋭い印象など皆無だし、こぼれそうなほど大きい瞳は倒すべき相手を見据えるよりは夢でも追っている方が似合うに違いない。
 もっとも、どれほど容姿が可愛らしくても大河が名前と同じ野生の獣を心に飼っていることは周知の事実であるのだが。切嗣や大河の祖 父であり藤村組の現職親分でもある雷画から見れば、そんな部分も含めて大河が可愛いのだ。まあ、後に竜を背負う獅子心王すら少しばか りたじろがせる猛獣っぷりを発揮するのは何年も後の話で、今は大河が吼えても仔猫が威嚇しているようでしかなく、保護者の立場にある 切嗣たちだけではなくクラスメート達(特に女子)にも可愛いと思われていたりする。
 どうやら安眠妨害はしないですんだようだ。安堵の息を吐き出した切嗣は、この場を離れるために鍛錬の成果で硬くなった大河の指を自 分の手から離させようと試みるが、
「…………」
 はずれない。
 妙にがっしりとつかんだその姿はどこか赤ん坊を連想させた。
 自分の考えに、切嗣は思わず苦笑い。
(子供扱いすると怒るからなぁ、大河ちゃん)
 頬を紅潮させて『子供あつかいしないでくださいっ!』と怒る大河の姿が目に浮かぶ。
 そんなことを考えていると、
「ん……んぅ〜……?」
 少女が身をよじる。
 ありゃ。と思ってるうちに、
「あー……きりつぐさんだぁ」
 寝ぼけ眼のまま切嗣を認識したらしい大河は、寝ぼけたままの加減の無い力で切嗣を自分の方へと引き寄せた。
「おわっ」
「えへー」
 しっかりと、切嗣のぼさぼさ頭をお世辞にも豊かとは言えない胸元に抱きしめる。
「た、大河ちゃん?」
 何分経験豊富な切嗣である、焦ってはいないが、少し驚いた。懐かれてはいたが、ここまで密着されたのは初めてだ。
「きーりーつーぐーさーん」
「…………」
 寝ぼけているどころの話ではない。寝ている。元々大河は感性だけで生きている感じはあるが、それでも起きていればここまで奇天烈な 少女ではない、とりあえず今のところは。
 おそらく大河にとっては夢の中の光景であるに違いない。
「えへー」
 幸せそうに口元をゆるめて、切嗣の頭に頬ずり。
「……困ったなぁ」
 たいして困っていないような口調で呟く。むしろ口元がゆるみまくっているところを見れば大層幸せであることは間違いないだろう。胸 は薄くとも大河だって年頃の女の子である、どこもかしこも柔らかくて触れていて幸せでないはずが無い。
「ひょっとしなくても、アタシお邪魔?」
 唐突に、聞きなれない声。
 さほど慌てもしないで、切嗣はゆっくり声の方に顔を向けた。
「出てった方いいかな」
 なんて呟くように言うのは、影のような少女だった。
 色素が薄いため天然の茶に染まった大河や、切嗣の息子の赤毛と違い、ベリーショートに整えた髪は闇夜の漆黒。飾りの一切無い、黒一 色のブラウスに同じ色のスラックス。月の無い夜道に立たれでもしたら、白皙の美貌だけが宙に浮いているようで幽霊と見間違われそうだ 。
 少女は釣り目がちの瞳を胡散臭げに細め、大河に抱きつかれている切嗣を眺めている。
「いや、これはそういう色っぽい事情じゃないんだ。うん、ちょっと待ってもらえるかな」
 言って、切嗣は目を閉じる。
 思い浮かべるのは、手に馴染んだ拳銃。その撃鉄を上げ、自分のこめかみに押し付けるイメージ。
回路、起動回路、起動サーキット・オン回路、起動
 そう思って、心にある引き金を引いた。
 切嗣ただ一人に聞こえる銃声が脳に響き、打ち出された弾丸は頭の中に入り込むと、身体の中を出鱈目に動き回って、路を作る。
 それが抜け出た時には、切嗣の中には本来人間が持ち得ざる神経が生まれていた。魔術回路である。
Good night dear. Sleep tight.Good night dear. Sleep tight.おやすみ愛し子よ。どうか安らかな眠りを Good night dear. Sleep tight.
 呟いた声が現実を浸食する。安らかな眠りが邪魔されないように、より深い眠りを。
 むにゃむにゃと言葉にならない寝言を発していた大河が、安らかな寝息をたてはじめた。その可愛らしい寝顔に微笑んで、切嗣は優しく 自分の身体を抱える大河の腕をほどくと、その胸の中から起き上がった。毛布を肩までしっかりかけ直してから庭に現れた少女へと向き直 る。
「お待たせ。それで、我が家に用かな、見知らぬお嬢さん」
「ん……用があるのはそこの虎にだったんだけど」
 迷いの無い足取りで切嗣の前まで歩み寄る。
「遅れたけど、お邪魔します……キリツグさん、でいいのかね」
「うん……いらっしゃい、見知らぬお嬢さん」
「その見知らぬお嬢さんってのはやめてもらえるかな」
「うーん、でも僕は君の名前知らないし」
「日高美音子。そこの虎のクラスメート」
 簡潔極まりない少女の自己紹介に、切嗣は目を笑みの形に細める。
「ああ、君がネコちゃんか。話は大河ちゃんからよく聞いてるよ」
「それはこっちのセリフ。キリツグさんの話は藤村からよーく聞いてる」
「え? 大河ちゃんが、僕のことを?」
「キリツグさんが出かけたとか、帰ってきたとか」
 照れ笑いを浮かべる切嗣の顔を見下ろし、
「なんで?」
「へ?」
「なんでアンタみたいな危なっかしい人に藤村が惚れてるの?」
 冷たい声で言い放った。
「…………」
「アタシはね、藤村のこと気に入ってんの。バカだけど真っ直ぐで」
 真剣な瞳に浮かぶのは敵意ではなかったが、それとすれすれの感情だ。
「今のままアンタに惚れてたら、コイツはヤバイ……アンタがいなくなった時、どうなるかわからない」
「……詳しいんだね、大河ちゃんのこと」
「……五年も側にいれば、わかるよ」
 笑みを無くした切嗣の言葉に、硬い声で応える。
「応えてやれとは言わない。アンタにもアンタの人生ってもんがあるだろうからね。アタシみたいなガキにはわからないことだってあるだ ろうさ」
 けど、と美音子は続ける。
「結論だけは出して欲しい。そうじゃないとソイツは……」
「……大丈夫だよ、大河ちゃんは」
「なんで」
 そんな風に静かに断言できるんだ。言外の問いを感じたのか、切嗣は小さく笑って、
「お日様みたいな子だからね」
 答えになっていない、答え。
「これは大河ちゃんには内緒にして欲しいんだけど。うん……君の言う通り、実を言うと僕はそう長くない」
「……病気?」
「まあ、そんなものかな」
 穏やかな表情に苦痛は無い。けれど、それで美音子の印象は確信に変わった。
 ――この人は、終わってしまった人だ。
「息子にも、大河ちゃんにも、誰にも言ってない……そうだなぁ、もって五年くらいかな、残念なことに」
「…………」
 悟りでも開いているのか、死期を覚っているにしてはあまりにも透明な態度。
「不安はあるさ。息子はまだ十歳くらいで親類縁者はいないし……でもね、大丈夫だよ、きっと」
「……なんで」
「うん、息子にはまあ、大河ちゃんがいてくれるし。雷画さんだってきちんと後見人になってくれるだろうし」
「そうじゃなくて、藤村は!? お日様みたいだなんて答えで、アタシが納得するとでも!?」
「……しない?」
「…………」
 するはずない。そう答えるべきだとわかっていたのに、口は動かなかった。
 本当はわかっている。切嗣が亡くなれば、確かにしばらくの間は大河は危うい状態になるだろう。壊れてしまったと勘違いするほどに。 けれど、そんなことで壊れる少女ではないことを、美音子は知っているはずだった。
 悲しみ、傷つき、迷い、壊れかけて、それでも大河は前に進むはずだ。
「……友達思いなんだね、ネコちゃん」
「……べつに」
 自分はただ、そんな大河が見たくなかっただけ。お日様のような大河が、生気を失い、うちひしがれている様子を見たくなかっただけな のだ。ならそれはただの自己愛ではないか。
「その優しさが、きっと大河ちゃんの助けになるよ……いや、なってる、かな」
 誰よりも純粋な大河のことを、この賢しい少女はさり気なく守っているのだろう。
「……なるほど、藤村の言ったとおりだね」
「?」
 女の人になら誰にでも優しくて、今のところそれが一番の問題。わたしの知らないトコでいっぱいライバルが生まれてそうで大変だよぅ 。
 いつだったか親友の漏らしていた愚痴を思い出して、納得。
 そして美音子は開き直った。
 傷つくなら勝手に傷つけばいいのだあのバカ虎。好きな相手がぽっくり死んで、何も言えなかったなんて落ち込んだらふざけるなと怒鳴 ってやろう。愚図のアンタが悪いと。
 ああ、確かにうじうじしてる藤村を見るのは嫌だ。で、藤村を立ち直らせるのは自己満足だって? 自己満足大いに結構。それで藤村が 立ち直るんなら動機なんてどうだっていいじゃないか。
 頭を二三度左右に振って気分をすっきりさせる。
 まったく、変な老婆心を出して恥をかいた気がする。これはもう、しばらく大河をからかって憂さを晴らさせてもらうとしよう。
 そうと決まれば話は早い。美音子は素直に切嗣へ頭を下げ、
「……ごめんキリツグさん。色々余計なこと言った……うん、これはそこのバカ虎の問題でアタシが口をつっこむことじゃないね」
「いやいや。大河ちゃんの素敵なお友達と知り合えたんだ。問題ないよ」
「……そ。まあいいや、これ」
 言って、背負っていた黒いザックからB5のノートを取り出す。『英語』と書いてあった。
「藤村が起きたら渡しといてもらえる? そもそもこれが目的で来たんだから」
 返し忘れたノートを藤村家に返して、さっさと家に帰るつもりだったのに色々と余計なことをしてしまった。切嗣を見て、思わず言って しまったが自分はこれほど直情的だったのかと自己再発見、詳しい分析は家に戻ってからだ。
 家、と考えてふと思いつく。
「それと」
 美音子が切嗣に差し出したのは名刺だった。簡単な地図と電話番号、そして、
「こぺんはーげん?」
「新都で飲み屋やってるから、よければそこの虎と来て」
「大河ちゃんは一応未成年なんだけどなぁ」
「飲めるのは知ってるから、問題ないよ」
 それじゃあ。
 ひらひらと手を振って、美音子は門へ向かう。
 手を振り返して見送り、切嗣はかたわらの大河へと視線を移した。
「……大河ちゃんが僕を、か」
 知らなかったとは言わないが、所詮憧れとしか思っていなかった。
 昔なら、あっさりとその好意に応じたに違いない。来るものは拒まず、去るものは追わず。そして女の子は大事に、が切嗣の方針だ。
 しかし、
「士郎は嫌がりそうだなぁ」
 今は子持ちの身。一人身の時のようにそうそう好き勝手は出来ない。愛人ならまだしも、大河が相手ではちゃんとした交際をするしかな いだろうし。
「まあ、なにはともあれ」
 こちらからアプローチすることも無い。死ぬまで言われなければそれも良し、もし言われたら言われたで、極力大河を傷つけない返事を 今から考えておけばいい。
「しかし本当に大河ちゃんは気持ち良さそうに眠るなぁ……うん、僕も寝てしまおう」
 呟いて、切嗣はゆるりと大河から少し距離を置いたところに寝そべる。
 すぐに寝息をたてる切嗣。
 二人の奏でる寝息が交じり合って、広い衛宮邸の庭へ溶けていった――

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