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「なぁ一成、なんか雰囲気悪くないか?」 珍しくひそひそと言う士郎に、 「うむ……すまぬな衛宮。色々と事情がある」 やはりひそひそ声で返す一成。 窓の外は初夏の陽射しが降り注ぐほがらかな日和。そんな外の雰囲気とは裏腹に、校内は陰鬱……とまではいかないが、どうにも暗い空気が漂っていた。 士郎と一成が並び歩いているのは、二人が通う穂群原学園ではない。生徒会絡みの用件で、冬木市からは随分と離れた街にある某進学校へとやって来ているのだ。 「町はいい雰囲気だったのになぁ」 山がちの、自然が多い地形は比較的田舎の冬木と比べてなお田舎と言えるだろう。住んでいる人間なら「こんな鄙びた所のどこがいいんだ。大体山なんて邪魔なだけだ」なんて言いそうなものだが、静かな方が好きという士郎にとってはいい土地なのである。 「重ね重ねすまん」 口調こそ真面目なものの、いつもだったら平身低頭して謝ってきそうな一成が真っ直ぐ前を見据えたままだ。士郎の顔に疑問符が浮かぶ。 「一成……? どうしたんだ、なんからしくないぞ?」 「……理由を問うてくれるな。おそらくすぐに察せられよう……と、ここだ」 一成が足を止めた。目の前の教室に下げられたプレートには『生徒会室』とある。 「……衛宮。これからこの教室内で多少頭にくることが起こるやもしれん」 「なんでさ。生徒会の用事で来たんだろ? それで、なんで頭にこなきゃならないんだよ」 「それはそうなのだが……とにかく。衛宮、お前は黙って居てくれればそれでいい」 何時に無く厳しい一成の表情に、士郎は反論の言葉を失った。 「ではいくぞ……」 一成が軽くドアをノックすると響きの悪い音が鳴り、「どうぞ」と中から声がする。 「失礼」 がらりと音をたてて中に入ると、そこはごく普通の教室だった。ただ、普通の教室が個人用の机が沢山並べられているのと違い、ここには会議用の長机が四角を作っている。 その一番奥の席で、少年が一人ワープロに向かっていた。入ってきたこちらにちらりと視線を向け、 「…………」 またワープロへと戻した。その一瞬で垣間見えた瞳が、何故か親友の慎二に似ていると、士郎は感じる。 「すいません。先日連絡した穂群原学園の者ですが……坂上会長は?」 「坂上なら帰った。事前に伝えたよ、坂上は忙しいから会えるかわからないって」 「伺いました。その際に、代理でも構わなければ話を聞くと」 「……ああ。そう言えば言ったね、そんなこと。僕が副会長、代理だ」 手も止めなければ、こちらに視線を向けようともしない。 「ちょっと……」 「衛宮」 思わず一歩踏み出し、文句を言いかけた士郎を、一成が片手で制す。 「なにか?」 「いえ。それでは、夏の合同合宿について説明と、確認をさせていただきますが、よろしいですね」 「どうぞ」 それから三十分弱の時間は、士郎にとっては地獄のような時間だった。 丁重な口調の一成、それに対して返ってくるのは、どう好意的に解釈しても熱意があるとは思えない生返事ばかり。何度も口を挟みかけ、その度に一成によって諌められる。 「……以上で、よろしいでしょうか」 礼節尽くした説明と、気のない返答。それが何十度か繰り返されて、一成はようやく締めの言葉を口にした。 「……驚いた」 今まで「ああ」とか、「うん」とか、「ええ」なんて二文字の言葉しか出てこなかった副会長と名乗った少年の口から、久しぶりにそれら以外の言葉が発せられる。 「穂群原の生徒でもそんな対応できるんだね。感心したよ」 口調こそ比較的普通だったが、真意の透けた言葉だった。 完全にこちらを見下している――その言葉で、いい加減我慢の限界に達した士郎が怒鳴ろうとした瞬間、士郎と一成が入ってきたのとは反対側のドアが、大きな音をたてて開かれた。 思わずそちらに視線を向け、 「…………」 士郎は息をのんだ。 流れるように艶やかな長い髪、背はさほど高い方ではないが明るいクリーム色の制服を大きく持ち上げる双丘といい、きゅっと細いウェストといい、スタイルは抜群と言ってもいいだろう。鋭いながらも優しげな瞳は、ガラス越しにこちらの姿を映している。 「……誰だ? 他校の生徒が我が校の生徒会になんの用だ」 知的な眼差しに強い力がこもる。容姿こそ少しも似ていないが、その瞳は士郎がよく知る聖銀の剣士とそっくりだった。 「お邪魔しています。私は穂群原学園生徒会長の柳洞一成です。春にお会いしたのですが……覚えていらっしゃいませんか?」 「穂群原学園……? !」 一瞬目が大きく見開かれ、 「ああ、覚えている。すまなかった、人の顔を覚えるのは苦手なんだ」 にっこりと、美人を見慣れた士郎ですら見惚れるような人好きのする笑顔を浮かべて一成の前まで歩み寄ると、その手を柔らかく握る。 「柳洞会長の意見は大変参考になった。また会いたいと思ってたぞ」 「それはこちらの言葉です、坂上会長。貴女ほど聡明な人もそうはいない」 「…………」 にこやかに対応する一成に、士郎は目を丸くした。 (あの一成が……女の子相手に……?) 一成は人見知りが激しく、初対面の相手や気に入らない相手に対してはひたすら冷たく接する。その一成が僅かにとは言え微笑みまで浮かべているのは、士郎にとってかなりの驚きであった。 「隣は?」 「ああ、これは衛宮士郎。私の……片腕とでも言うべき男です」 「片腕か。いいな、そういう人がいるのは。うちなんか皆頑張ってくれているが、敢えて一人を挙げろと言われても難しい」 すい、と彼女が一歩身体を横にずらせば、もう士郎の目の前。 「私は坂上智代、この高校の生徒会長をしている。よろしくな、衛宮」 「……うん、よろしく」 元から生徒会室にいた少年と、智代とのあまりの態度の違いに驚きながらも、差し出された手を握り返す。 少し冷たくて、すべすべした手だった。 「ところで柳洞会長、今日は一体なんの用だ?」 「え?」 「どうした衛宮。そんな素っ頓狂な声を出して。私が柳洞会長の来訪を疑問に思うのが、そんなにおかしいか?」 「いや……だって、夏の合同合宿って結構大きなイベントだろ? さっき話を聞いて、昨日今日立案された計画じゃないってわかる。そんな時期に来たんだから、目的は合同合宿の話に決まってるんじゃないかって思ってさ」 「……柳洞会長は、夏の合同合宿の件で来たのか」 「はい。先日電話でお話したのですが……」 「……どういうことだ。私は何も聞いていないぞ」 智代の目が細くなる。瞳にこもる力は怒りか。 「どういうことも何も無いよ。坂上は最近忙しいだろ。だったら、僕が代わりに話を聞いておけばそれで済むことじゃないか」 先ほどから黙っていた少年が口を開く。いかにも『仕方ない』といった、ため息でも混じりそうな口調だった。 「忙しいと言っても、弁論大会に出るのは私の個人的な活動だ。生徒会活動が優先されるに決まってるだろう」 「だから、わざわざ坂上が出るほどのことじゃないって」 「他校の生徒会長を呼びたてておいて、『私が出るほどのことじゃない』だって!? ふざけるな!」 「別に僕が呼んだわけじゃない。そっちが勝手に来たんだ」 「何を……っ!」 「坂上会長。彼の言う通りです」 踵を返した智代の手を、一成が掴む。 「今日び直接会って確認を取るなんて手間のかかることする必要ないだろ。メールでも何でも送れって僕は言ったよ」 「……ええ。けれど、私はそれでも直接確認をすることを選んだ。私の我が侭です、坂上会長。彼を責めないでください」 「…………」 真っ直ぐ自分を見つめる一成の視線を、智代は真っ向から受け止めた。 「…………」 「…………」 視線を交わすだけで千の言葉を交わすより、分かり合えることもある。 そこまで大袈裟なことでもないかもしれないが、智代は、 「……わかった」 小さくため息をついて、頷いた。 「それと柳洞会長、すまないが手を離してくれるか?」 「え? あ……こ、これは申し訳ない!」 少し頬を赤らめて言う智代の言葉に、一成は大慌てで掴んでいた手を離す。その姿に、凛にからかわれる時の、いつもの一成の姿を見出して、士郎はなんだかほっとした。 「……合宿の話は終わりましたから、我々は帰ります。行こう、衛宮」 「あ、ああ……」 智代の脇をすり抜けて、入ってきた扉へと二人で向かう。 「なにやら騒がせてしまったようで申し訳ない」 相変わらず腰の低い一成に、智代が怒ってくれたおかげで少しすっとした士郎だったが、やはりかなりのもやもやが残る。しかし、ここで騒いでは一成の心遣いを無駄にするのはわかりきっていた。 「それでは失礼」 「……失礼します」 一礼してドアをくぐる一成に倣い、礼をして生徒会室を出る。 何度か深呼吸をし、隣の教室の前あたりまで来て、 「一成! なんなんだよ、あれは!」 士郎は小声で怒鳴った。 「言ったであろう。頭に来ることが起こるやもしれん、と」 「そりゃ、言われたけどさ……!」 「そういう学校なのだ、ここは。所謂進学校というヤツでな」 一成の表情は先ほどまでの無表情ぶりが嘘のような、苦虫を噛み潰したようなものだった。 「人の関係よりも、成績の良さが重要だと思われているらしい。そのせいか考え方も合理的でな、全ての物事は効率的に進められるべきだとよ。それでも坂上会長になってからは幾分マシになったのだ。先代は……ひどかったぞ」 「ひどい?」 「ああ。大多数の生徒の為に存在するのが生徒会だと、公言していたからな。俺が『全ての生徒のためではないのですか』と聞いたら、生徒会の決定に従えない生徒のためには活動できぬ、などとのたまいおった」 「なっ……!」 それは、士郎が忌むべき考えだった。 現実はわかっている。十の内一を捨てて九が救えるのなら、一を捨てるべきなのだ。十全てを救おうとして、五を取りこぼすよりは、よほど正しい。 けれど、 「そんなの……間違ってる……っ」 「そうだな、間違っている。生徒全ての幸いを考えてこそ、生徒会であろう」 穂群原学園は運動系と文化系の予算配分のバランスが悪い。実際に好成績を出している運動系が予算を沢山取るのは当然で、成果がなかなか出ない文化系が多くの予算を取るのは難しいのも当然だ。 そこで予算編成に手を加えて、文化系を贔屓するのは簡単なこと。 けれど、それは不正だ。だからこそ一成はそれをした会計を糾弾するつもりだったし(実際は天敵に先手を打たれたが)、予算が取れぬのであれば自力でなんとかしようと、各部室の手入れはこまめに行っている。まあ、かなりの部分を傍らにいる親友に頼ってしまっているのは、なんとかしなければと思っているのだが。 「それにアイツ……随分いい椅子に座ってたよな」 「そうなのか? 俺にはただの事務用椅子にしか見えなかったが」 少年の座っていた椅子を思い出し、士郎は顔を顰める。 士郎には物の構造を解析すると言う特技がある。本格的に部品単位で解析しようとすれば魔術を使わねばならないが、簡単な構造だけならぱっと見ただけで手に取るようにわかる。先ほどの椅子、見かけこそ普通の事務椅子と大差ないが、その座り心地は格段にいいはずだ。 「生徒会にあんな椅子を導入するくらいなら、もっと色々なことが出来るだろうに」 「ふむ……まあ、余所の予算配分にまで口を挟むことはなかろう」 「……まあ、そうだけどさ」 それでも、生徒のために活動している生徒会がそんな特別な椅子に座っているというのは、なんとなく嫌な感じがする。 「しかしまあ、坂上会長に会えたのは僥倖であった。最後まで嫌な気分のままではなくなったからな」 「……うん。あの子は、凄くいい子みたいだな」 「皆が彼女の考えに感化してくれるといいのだが……まあ、難しかろう」 必ずしも下が、上の考えに従うわけではない。それは生徒会長をしている一成自身が一番良くわかっている。人一倍真面目に生徒会の活動を行っている一成だが、他の生徒会役員は早出も残業も嫌がるという始末だ。まあ長年の努力の甲斐あって、その状況も多少は改善されているのだが。 そんな話をしていると、 「柳洞会長!」 廊下に響く凛とした声。 噂の本人の出現に、別に悪口を言っていたわけではないが、思わず士郎と一成はびくりとなってしまう。 振り向くと、二人の視界に入るのは勿論坂上智代だった。 「坂上会長。どうかしましたか?」 再び余所行きモードの一成。 「ああ、その……今日は本当にすまなかった。その、お詫びにもならないだろうが、せめて校門まで送らせてくれ」 「坂上会長が気に病むことはありませんが……礼はかえって無礼の沙汰、とも言います。申し出はありがたくお受けしましょう」 「うん、そう言ってもらえるとありがたい」 にこりと笑顔。端正な顔立ちなのに、子供みたいに笑う。しかしその笑顔は、すぐに申し訳なさそうな顔にとって変わられた。 「それからその……恥の上塗りかもしれないが、アイツのことあまり悪く思わないでくれ」 アイツと呼ばれて思い浮かぶのは一人しかいない。先ほどの生徒会室にいた少年だ。 士郎の顔が険しくなる。 「それは無理だ。あの態度はないだろ」 「衛宮」 一成が止めるが、 「いや、いいんだ柳洞会長。衛宮……だったな。言ってくれ」 それを制したのは智代だった。 「ただこんなところで立ち話もなんだな、生徒会室に戻るわけにもいかないから……中庭にでも行こう」 ついて来てくれと言うと、智代は歩き出した。ただ歩いているだけなのに絵になる、颯爽という言葉が似合あった余人には得難い生来の人を惹きつける魅力が、その姿にはある。 彼女に従って歩くと、言葉どおり広い中庭に出た。新緑がまぶしい、気持ちのいい場所だ。 「さ、座ってくれ」 智代は言うと、花壇の縁の真ん中あたりに腰をおろした。彼女がつめないかぎりどちらか一方に二人座るのは無理だろう。左に士郎が、右に一成が座る。 「見ていなかったから坂上さんはわからないだろうけどさ、ひどかったぞアイツの態度。一成が真面目に話してるのに、何を言っても『ああ』とか『ええ』しか言わないんだ。アレはいくらなんでもないだろ」 「そうか……」 智代が悲しげに顔を伏せる。 「さっきも言ったけど、アイツも悪いヤツじゃないんだ……ただ、生徒会にいるっていう自覚が強すぎる」 「自覚が……強い?」 「そう。自分が生徒の代表だって言う意識が強すぎて、偉いんだと思ってしまってるんだ」 「なんでさ。生徒会をやってるのは凄いかもしれないけど、別に偉くなんかないぞ」 「……ふふ」 怒りも忘れてきょとんとした顔で自分の考えを述べる士郎に、智代は目を細めた。さっきの真っ直ぐな笑顔とは違う、微笑んでいるけれど疲れた表情だった。 「私もそう思う。皆が衛宮のように考えてくれるといいんだけどな……その、これは別に自慢じゃないんだが、うちの生徒会は参加するのに成績制限があるんだ。全国でそれなりの成績を取っていないと、生徒会には立ち入れない」 「……なんだよ、それ」 「……学校の、方針なんだ。生徒を束ねる立場にいる以上、優れた人間でなければならないらしい」 「そりゃ成績がよければ頭はいいかもしれないけど……それ、優れてるってことなのか?」 「違うと思う。まして、それだけで人を束ねられるなんてもってのほかだ。……でも、役員の多くは勘違いしている」 「生徒会とは、生徒を束ねるのではなく、生徒を統べる集団だ、と。そんな風な考えですか?」 今まで黙って士郎と智代のやりとりを聞いていた一成が、口を挟んだ。その異様な考えに、士郎は唖然とし、智代の顔はますます暗くなる。 「……ああ。他の生徒の上に立っているんだ、なんて考えている……」 「そんなのおかしいだろ!」 怒鳴って立ち上がった士郎を、 「落ち着け衛宮。坂上さんに当たっても仕方あるまい」 一成が厳しい顔で諌める。 言われ、暗い顔の智代に気づいた士郎は、 「ごめん。確かに坂上さんに怒鳴っても意味無いよな」 素直に謝るのだが、智代の表情に広がった暗雲は晴れない。 「いや……アイツらの考えを正せない私に責任があるのも事実だ。私だって悔しいし、衛宮の怒りもわかる」 智代の言葉を纏めると、こうだ。 そもそも苛烈な進学校であるこの高校では、成績が全てであるという一面がある。生徒会への参入条件にもあるように、成績=発言権のような感覚もあるらしい。成績下位の生徒は学校にいられるだけでもありがたく思えと、信じられないような話だが、智代の暗い顔を見れば嫌でも信じざるを得ない。 ただし成績が優秀でなくても、発言権を得るもう一つの手段がある、部活動での活躍だ。スポーツ特待生も受け入れており、文武ともに力を入れていることが学校案内のパンフレットを見れば書いてあるだろうと、智代は嫌そうに言い捨てた。 そんなエリートを集めるシステムの中、生徒達自身の意識も変わっていく。更なる高みを目指し、足手まといになりうる要素は邪魔になる前に切り捨てる――そんなことが当たり前のように罷り通っているそうだ。例えば、演劇部を作ろうとする生徒が部員集めをしようとすれば、ロクに話も聞かず禁止されているの一言で切って捨てる、なんてことが。そんな生徒の中で選ばれた生徒会である、どれだけ選民意識に凝り固まった連中の集まりになるか、メンバーの個人個人を知らないでも容易く想像できる。 「……成る程。去年の会長が言っていた『真面目な生徒の為の生徒会』の意味、少しわかった気がするな」 流石の一成も眉を顰め、小さく呟く。 「しかし、坂上会長はそのような考えを持っていないようですが。何故です?」 「私は、今年編入してきたんだ……ここまでとは思ってなかったけどな」 弱々しく笑う。 「正直何度蹴り飛ばしてやろうかと思ったことか……秘密だぞ?」 冗談めかして言うが、瞳には寂しさと疲れが漂っていた。士郎も一成も気づいたが、何も言わない。言えないと言うべきか。 爽やかな小鳥の囀りを背景に、沈黙が場を支配する。 「それにしても」 それを破ったのは一成だった。ちらりと士郎を見る瞳にあるのは、呆れの色。 「やはり衛宮は怒りっぽいではないか」 「なんでさ。あんな対応されたら怒るの当たり前だろ」 「間桐とてあのような感じであろう。その間桐が許せて何故先程の彼は許せぬのだ」 「まあ、確かに慎二とちょっと似てたけどさ。慎二にはいいところもあるって、俺は知ってるから」 「ならば。彼にも我らの与り知れぬ良いところがあるに違いない……そうでしょう、坂上会長?」 「……うん。そう言ってくれて、助かる。アイツもその、悪いところばっかりじゃないんだ」 まだ瞳は寂しげだったが、笑顔には少し元気が戻っていた。 「そうだな。悪いところのヤツなんて……まあ、そうそういるわけじゃないし。ごめん坂上さん。難癖つけたみたいで」 この素直なところは短所か長所か、実は微妙なところだが、まあ長所と言ってもいいだろう。その素直さに何かを感じたのか、智代はあることを思いついた。 「いや、たいしたことじゃない。衛宮もそう気にするな……ああ、そうだ」 「?」 「その、これは私的な質問でさして意味はないんだが……ち、ちょっとした好奇心だ、他意はないぞ」 ここまでしどろもどろになられると、実際に何の意味の無い質問でもなんらかの意味があると思ってしまいそうだが。 「なに? 俺で答えられることなら答えるけど」 「ええと……その、だな」 「うん」 「わ、私の友人に二人三脚の大会に出るヤツがいるんだ」 「へえ、二人三脚の大会なんてあるんだ」 素直なのもいいが、一歩間違うとただの馬鹿である。現在半歩ほど間違えてるっぽい。突っ込みを入れるのも野暮なので、一成は静観の構えだ。 「あるんだ。それで、私の友人はどうやら有望な選手らしい。周囲はかなり期待してる」 「そりゃ大変だな。プレッシャーとかかかるだろ」 「いや、プレッシャーはあまりない。自分がやりたいことをやっているだけだからな」 「え?」 「ああいや、私の友人がそう言っていたんだ。まあ友人が有望だと言うのはひとまず置いて、問題はそのパートナーにあったんだ」 「そっか、一人じゃ二人三脚は出来ないもんな」 「うん。それで、足を引っ張られるだろうからパートナーを変えろと友人は言われたらしい」 黙って頷く。 「しかし、その、なんだ? 友人にとって、パートナーは大切な人だったんだ。足を引っ張られる気なんてなかったし、仮に引っ張られたとしても、強引に引きずってでも一位をもぎ取る気でいた」 「成る程」 「けどな、パートナーの方が言い出したんだ。お前とは一緒にいられないって」 「なんでさ?」 「自分が足を引っ張って一位が取れなくなること、その先に続く大会で友人が勝てなくなることが嫌だったらしい……」 「……けど、友達はそのパートナーのままでも一位を取る自信があったんだろ?」 「……ああ、その自信があった。でも、あいつは……と……やは……」 微かに聞こえた人の名前。士郎も、一成も、聞こえなかったことにした。 「結局友人の強がりだったんだ。パートナーを変えずに一位を取って、その先の大会でも勝ち続けるなんて出来ないってわかってた……でも」 「もう勝つことよりも、パートナーの方が大事になってたんだ」 「……うん」 流石に事情を察した士郎の静かな言葉に、智代は小さく頷く。 「その達成に全てを賭けていた、替え難い目標だったはずなのに……あいつの方が、大事になってたんだ。あいつさえ横にいてくれたら、もう目標なんてどうでもいいと、そんな風に思った」 「…………」 それは、誰かに似ている。全てを捨てて尊い目的の為に走り続けた誰かに。 目の前の少女は、己であることを捨てようとしたと告白する。 彼女は、彼女であることを選び続けた。迷いはあったかもしれないけれど、彼女は自身でそれを乗り越えた。智代は自身では乗り越えられなかっただけ。その差は大きいかもしれない。でも結果は同じ、愛しい人と違う道を歩むことになっても、今では己の道を前を見据えて進んでいる。 「私の友人は……」 言葉を切って空を見る。 空は高く、どこまでも続いていた。道を違えて歩む、彼の人の所までも。 「どうするべきだったのかな……」 「……『どうするべきだったか』よりもさ……」 士郎も空を見上げる。 彼女はこの空の下にはいないけれど、遥か昔、同じような空を見ていたのかもしれない。 「『これからどうするか』を考えた方がいいんじゃないかな」 「え?」 彼女と士郎に『これから』はない。 彼女は答えを得、士郎は理想を得た。その理想は遥か遠く、早や辿り着けぬ場所にあるけれど、彼女の面影があるかぎり歩いていける。だから敢えて言うなら、その理想に士郎が向かい続けるのが彼女との『これから』。 「一生二人三脚をやってるわけじゃないんだろ? なら、二人三脚の大会が全部終わってから、パートナーに会いに行けばいい」 「……あ」 「パートナーがさ、友達のことを思って身を引いたなら二人三脚をやっている間に会いに行くのは駄目だろうけど」 まばゆい太陽に、彼女の髪に似た金の光に眼を細めながら、士郎は呟くように言葉を紡ぐ。 「『これから』があるんだから。全部終わってから会いに行けばいいよ……完全優勝して、誰にも文句を言われなくなってからつきあえばいい」 それはきっと逃げてるわけじゃない。戦った末に勝ち取ったものだ。 「……そう、か。そんなこと、考えてもみなかったな……」 「だったら、考えてみてもいいんじゃないか?」 「……そうだな」 瞳を閉じる。 「……衛宮」 「ん?」 「ありがとう、礼を言うぞ」 再び彼女の瞳が見えたとき、そこから寂しさや疲れは消え去っていた。 「友人に、伝えておこう」 「……ああ」 智代の笑顔に、士郎も人好きのする笑顔で返す。 「ふむ……俺が口を挟むまでもなかったようだな。まあ小坊主が出張る話でもないか」 軽くなった空気に一成の顔にも微笑が浮かんだ。 「さて衛宮、そろそろ帰らぬか? あまりのんびりしていると寺に帰るのが夜中になってしまう」 「あ……っと、そうか。一成は柳洞寺まで戻らなきゃならないんだもんな。悪い」 「いやかまわん。衛宮もむかむかしたままで帰っては精神衛生上よくなかっただろう」 「慎二みたいなものだって考えればまあ、許せる。それに……坂上さんがこれだけしっかりしてるなら、すぐにアイツらも坂上さんみたいになるよ。うちの生徒会だって、最近残業したりしてるじゃないか。アレは一成の影響だろ?」 「まあな……ああ、うちの生徒会は逆に生徒会であるという自覚が足りないようで、皆仕事に身が入っておらぬのです」 士郎との遣り取りに興味を持ったらしい智代に説明する。 「足して二で割ればちょうどよくなるかもな」 「そう簡単にいけば楽なのですが」 言って、生徒会長二人は顔を見合わせて笑った。 来た時のような重い空気ではなく、雑談交じりの和やかな会話をしながら再び校舎内へと戻る。正門に着くまで、色々な生徒が智代に挨拶しているのを見て、士郎たちはあらためて彼女の人望の厚さを知った。 ゆったり歩いて辿り着いた桜並木の坂を下る手前、三人は足を止める。 「柳洞会長。今日は本当にすまなかった、最後にもう一度、詫びさせてもらう」 「まあ、あまり気にしないでください。大変でしょうが、これからもお互い頑張りましょう」 智代の謝罪に、わりとありきたりの言葉を返す一成。 「それから衛宮。ありがとう」 「え、ああ、うん。どういたしまして」 素直なお礼に照れる士郎。 「あ……坂上さん、最後に一つ、いいかな」 「なんだ?」 「生徒会って、なんのためにあると思う?」 彼女がなんて答えるかなんて、もうとっくにわかっていたが、それでも一応彼女自身の口から聞きたくて、士郎はその疑問を口にした。 「そんなこと決まってる」 一瞬きょとんとした智代だが、すぐに豊かな胸を張って堂々と、宣言するように、答えを艶やかな唇に載せる。 「全校生徒の、より良い学校生活のためだ」 予想通りの答えに、士郎は破顔して、 「……うん、頑張れ、坂上さん!」 心からの言葉で激励した。 そして手を振って見送ってくれる智代に、手を振り返して、 彼らは、下り始める。 長い、長い坂道を。 |